おひなさん
03
少し前、骨董屋で見つけたおひなさん。
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01
昨日、大阪ヒルトンホテルにて、朝日21関西スクエア賞の贈呈式がありました。
今朝の朝日新聞に掲載された、うれしそうな顔(笑)
贈呈式では演奏も、とのことでしたので、松園洋二さんにピアノをお願いして木琴の演奏を聴いていただきました。
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26
以前は、一年に一度「門下生発表会」のような形で、会場を借りてみんなで演奏をする機会をもっていましたが、いつの頃からか私の部屋で「試演会」という名の「家庭音楽会」をするようになりました。
開催は不定期。私が「やりま〜す」と言うと都合のつく人が集まってくる、という形。椅子と座布団を並べて客席20名ほどの「会場」ですが、これが意外に緊張する空間になり、試験やリサイタルの前の人にとってはよい「試演」の機会にもなります。
先週土曜日はその「試演会」でした。今回は、大学受験の時からうちに習いに来ていた、大門(旧姓八田)由暁さんの結婚御祝いも兼ねての会。
由暁さんとの出会いは彼女が高校3年生、私が大学4年生でしたから、もう約四半世紀のおつきあいになります。年齢は4つしか違わないのですが、私がはじめて教えた「大学受験生」だったこともあり、いつまでもかわいくて仕方がないという感じです。
数年前、彼女には、大きな試練がありました。
大学卒業後、バイトをしながらの演奏活動も軌道にのっていたところ、脳の血管がもやもやになる難病「もやもや病」が原因で脳梗塞を患うことなったのです。半身が麻痺し、一時は日常生活への復帰も危ぶまれる、という状況に。でも「克服」という言葉が似合わないほどの、持ち前の明るさで大病を見事に乗り越えました。残念ながら演奏活動は諦めざるをえなくなりましたが、これまで通りの生活を送れるまでに回復し、選んだ仕事が医療事務。この度、その職場で素敵な男性とめぐりあって結婚。
そんなこんな、いろいろがありましたので、もう我が事のように嬉しいです!!!
試演会終了後の打ち上げ+御祝い会。近所のイタリアン「パスタ・フレスカ」にて。
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19
平岡養一さんのこと、木琴のことを知っていただく入り口になれば、とこのような動画を作ってみました。ライヴ・ヴィデオの撮影は、姫田蘭さんに御世話になりました。編集は、このHPを製作してくださっている阿部研二さんです。
平岡養一さんと並んで木琴を演奏する「10歳の私」も登場しますので、是非ご覧ください。
「木琴デイズ、再び」
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15
この度、朝日新聞大阪本社が組織する「朝日21関西スクエア」より「朝日21関西スクエア賞」をいただくことになりました。以下、今朝の関西版に掲載された記事です。
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12
所属事務所ヒラサ・オフィスの四元嬢によると、私にお仕事をご依頼くださる方は、個性的な方が多いそうです(笑)
今、やりとりしているご依頼主は、私のところにもお手紙をくださるのですが、いつも巻紙に毛筆です。
だぁ〜っと長いのが、2枚くらい。
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11
CD「スパイと踊子」がオーディオファイルのサイトで、優秀録音盤に選ばれました!と連絡がありました。
オーディオ評論家・福田雅光さんが徹底視聴され、各月の優れた新譜を紹介される会員制websiteの人気コーナー。「高音質ソフト選びの羅針盤!」だそうです。
うれしいですね。「録音」が評価されたわけで、演奏そのものが評価されたわけではないですが(笑)
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10
1月13日深夜に音楽ライター・毛利眞人さんがひき逃げ事故に遭われた、とのニュースが流れました。犯人は間もなく捕まったようですが、ご本人は骨盤と鎖骨骨折の重傷。
本当に、心配しておりました。
SP盤について大変お詳しい毛利さんには、『木琴デイズ』執筆中、SPレコードの時代特定など、大変御世話になりました。
「心配、心配」と発していたら、奥さまよりお葉書が届き、手術も無事終わられリハビリに励んでおられるとのこと。間もなくご本人とも連絡がとれ一安心しました。
それにしても、2回に分けての手術。考えただけでもイタイです…..
そんな毛利さんですが、最近twitterを更新されているのを知り、お仕事をお願いしてしまいました。私は鬼か!(笑)
今年の5月だと、まだ肩に金属が入っている状態だそうですが….
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08
先日観た、映画「小さいおうち」(山田洋次監督)。素敵な映画でしたが、一つ気になって仕方がないことがあります。
女中さんが奥さまの逢瀬の可能性を見抜くという重要なシーン。
この奥さま(左手)の帯の一本獨鈷(黒の縦線)。出かける際は右側にあったのに、帰って来た時には左側になっている。これは、外出先で帯をといたに違いない、と想像する、というところです。
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08
同じ音楽業界にいるので、佐村河内氏の問題でいろいろなことが聞こえてきて、なんとなくざわざわしている感じがあります。名前が売れる、物語性がある、というのはすごいことだな、とあらためて思います。
私は、2005年、平岡養一の木琴を譲り受けて演奏活動を始めるにあたり、実はちょっと心配していました。世界一の木琴奏者と称された「平岡養一」の名前で、自分を売り込もうとしている、と勘違いされるといやだな、と。だって40年近く前、10歳の私は70歳の平岡養一と握手まで交わしたのですから、充分物語性があるでしょう(笑)だから、純粋に、自分の演奏だけを聴いて評価していただけるように、平岡養一を紹介しつつも、それを全面に出さないでおこうと、随分気を遣ったものです。
結果的には、それってただの自意識過剰(笑)世間ではすでに平岡養一の名前が忘れられつつあることがわかり、自分の売名行為どころか「平岡養一」を思い出してもらうために、せっせと評伝まで書くことになったのですから。今から考えれば、随分滑稽な話です(笑)
で、一連の報道の中の「佐村河内氏の作曲指示書」を見て、思ったこと。
私も、積極的に、浴衣ブランド「メテユンデ」のプロデュースを手掛けていた頃は、谷本さんに「指示書」を渡していました。普段のコンサートチラシのデザインなんかもそうです。「指示書」という名前ではないですが(笑)
これは、メテユンデの帯、一番人気でロングセラーとなった「バレリーナ」(デザイン:谷本天志)。
「バウハウスのオスカーシュレンマー風のバレリーナの帯をお願いします」といってできてきたものでした。
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